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ブログ

障がいをもつ人

こんにちは。今日も神戸オイレクリニックのブログをご覧いただきありがとうございます。今日は猛暑日の神戸です。ですが、最近は夕方になると涼しい風が吹くようになった気がします。秋まであともう少しですね。暑いのやっぱり苦手です。オリンピックも今はパラリンピックをやっていますね。なぜかオリンピックほど観ている人が少ないと昔から言われていますが、私はパラリンピックにも昔から興味があります。子どもの頃に車いすに乗っていてもスポーツをしていたのをテレビで見てすごいな!普通なら身体が不自由だから自分だったらやる気にもならないだろうなと思ったのを今でも覚えています。

今パラリンピックが開催されている中で、障がいを持つ人について今日は考えていきたいと思います。そして、学生時代にボランティア活動をする中で障がいを持つ人に対する日本の考え方や差別に驚いたこともありました。それをふまえて今日は書いていきたいよ思います。

日本で最近で言うと、相模原殺傷事件がありました。加害者は、「意思疎通のとれない障がい者は安楽死させるべきだ」などと言い、身勝手な犯罪をしました。耳を疑う言葉ばかりでした。本当に残虐な事件でした。そして、そのような事件がおこるとメディアなどでは、「弱者に思いやりを」「弱者を差別しない社会をつくろう」と呼びかけています。しかし、障がい者の置かれる状況が変わる兆しは見えてこないばかりか、むしろ悪くなっていると言います。

 

それは何故なんだろうと調べてみると、日本の障がい者に対する考え方がアメリカなどと大きく違うことがわかりました。まず、英語で障がい者は、(disabled  people)とは言わない。障がいを持つ人、障がいと共に生きる人(people with disabilities)という言い方をする。子どもの場合は、障碍児(disabled children)とは言わず、特別なニーズのある子ども(children with special needs )と呼ぶのが一般的とあります。あくまでも人に焦点を当て、私たちには人間として同じ権利があることを強調します。

そして、アメリカ人はそれを子どもの頃から自然に学んでいきます。「インクルージョン・クラスルーム」といって、障がい児も健常児(typical children)も同じ学校に通う。障がいのあるすべての子どもたちが、健常児と同じように学ぶことができる環境を提供することは、公立学校の義務であると法律で定められているのです。

教育だけでなく、交通機関や公共機関へのアクセス、雇用や住居の機会均等が法律で守られており、世間一般では当然のこととして認識されている。

このよう社会では、障がいや病気のある人を弱者と呼ばない。もし彼らを、weak people (弱者)などと呼んだら、アメリカでは、差別だと言われます。もし、障がい者が「社会的弱者」であるとしたら、社会が変わる必要があると考えるのです。

弱者の代わりに英語では、「バルネラブルな人たち(people who are vulnerable)という」言い方をする。日本にはない表現で、「弱者」とも意味が違う。バルネラブルは、障がいの有無を問わず誰もが経験すること。例えば言葉の話せない国に行ったとき、暗い夜道を歩いている時、風邪にかかったときなどには、バルネラブルな状態になりえます。

弱者という言葉が、彼らと私たちを区別する言葉だとしたら、バルネラブルは人間誰が経験する苦しみや悲しみを通じて、私たちをつなぐ言葉になります。

障がい者や弱者とそうでない人たちを、白黒わけることはできません。今、自分自身が健康だったとしても、病気や事故でいつ障がいを持つかわかりません。そして全ての人には死が訪れる。そして死期が近づいているとき、私たちは人生で最もバルネラブルな状態にあると言えます。どんなにお金や学歴があっても、どんなにハンサムでも美人でも、死ぬときはみんなバルネラブルであると言えます。突然死なない限り、確実に誰かの支えや助けが必要になるでしょう。

そんな時、自分は何を求めるのでしょうか?弱者というカテゴリーに振り分けられ、「かわいそう」と思われたいだろうか?どうせすぐ死ぬのだからと、生きていても意味のない人間として扱われたいだろうか。私は、体が弱っていても、人間として本質的な部分では変わっていないと感じると思います。だから、ありのままの自分を受け入れて欲しいし、自分の気持ちをわかって欲しいと願うと思います。周りの人に完全理解されることは無理でも、わかろうとすり努力をしてほしいと思うでしょう。

【善意の人々からの浅い理解は、悪意の人々からの絶対的な誤解よりも苛立たしい】

とキング牧師は言いました。

障がい者に対して悪意を抱いている人は少ないと思いますが、理解は深いと言えるのでしょうか?

弱者と分類し、今までも、弱者という言葉をたくさん使っていましたが今回、それは無意識に差別をしていることだとわかり、反省しています。

これからの日本の社会は「弱者を思いやる社会」ではなく「弱者をつくらない社会」だと思いました。